わなびねこ

ライラックポイントのライと……リアルシャダイのシャをとって……。

歩きながら考えごとをしたい

  • 加齢による集中力の低下。
  • 気が散って読書に集中できない。
  • ただでさえそうなのに横でぺちゃくちゃ話をされるとまったく読書が進まない。
  • そこでイヤホンをつけて音楽を聴きながら読書してみたら意外と集中できた。
  • 脳の衰えにより、集中すべきこと以外の思考を抑制することができなくなってワーキングメモリ資源があちこちに使われてしまい読書に集中できなくなっている状況で、音楽を聴くことによって気が散る対象がひとつにまとめられ、結果的にその他の思考が抑制されて読書に充てるワーキングメモリが確保できた、ということだと理解したのだが、それで正しいのだろうか。
  • ところで、何か考えごとをするときにパソコンの前にいるとすぐネットを見たり余計なことをしてしまう。
  • かといってソファーに座ったりすると、いろんなことが頭に浮かんできて集中できない。
  • そういうわけで、歩きながら考えごとをしたい。
  • 読書のときのように、歩くことで他の思考が抑制され考えごとに集中できる感じがする。
  • 結論としては散歩のできる庭がほしい。
  • 大河内山荘庭園のような庭があればどんなにすばらしいことか。

最近印象に残った言葉など

先崎学「彼は、あの、革命家なんです 当時あのー、まぁ将棋界っていうのはまだまだこう、えー、ちょっと荒っぽい世界でして」
 「まぁ将棋のプロになるなんていうのはちょっとこう、裏街道に行くみたいな、感覚が、えー、世の中にあって」
 「古い将棋界に対して、まぁ盤上で、変えてみせたのが、私にすれば、七冠よりも、まぁ、国民栄誉賞よりも、彼の、人生において偉大なことだなと私は確信しますね」
BS1スペシャル「九段 羽生善治~タイトル通算100期への苦闘~」より


本人も番組内で「いやー、ははははは、でも、あの、わたしデビューした頃の先輩方怖かったですよ、ホントに、へへ、いやホントに、へへ」と言っていたが、そういう中で、あの寝グセのついたままのあどけない顔をした若者が次々と常識を覆していった、そのことこそがあの人の本当の凄さだったんだなとわかった。スマートなだけではなくて、盤の上でその怖い先輩たちにケンカを売りにいくそのアツさというか、やっぱり凄い人ってそういう部分を持っているんだなと思った。

谷川浩司「すごい勘違いですけども、羽生さんが、あのー、頑張ってれば、私も頑張れるような気持ちになりますのでねー、へへへ、だから、若いのに負けないでほしいっていう気持ちはありますね」
BS1スペシャル「九段 羽生善治~タイトル通算100期への苦闘~」より


この人の言葉だからこそグッときた。


 「不思議なあんこ、炊く先生いてるっていうのは聞いてたんです」
 「ある日、あの、知人の紹介で来てくださって『社長ー、小豆のいい匂いしますねー』とか言われて」
 「私、褒めてもらってると思って、『ありがとうございます』って言ったら、『小豆のいい匂いのするあんこ屋はろくなあんこ屋じゃない』って言わはって」
 「えっ?えっ?って思って、うちのあんこ『腐ってますわ』って言うんです」
 「『腐敗してるんじゃなくて、おいしくないって言ってるんですわ』って先生おっしゃるんで」
 「でー、(先生のあんこを)食べたときに、びっくりして」
 「ま、あの、おみそ汁で言ったら、だしのよく効いたおつゆと、だし忘れたおつゆぐらい違うかって」
プロフェッショナル 仕事の流儀「疾走、あんこ道~菓子職人・小幡寿康~」より


そんなに違うものなのかと。だしのたとえがわかりやすかった。


お前が何か外にあるもののために苦しんでいるのであれば、お前を悩ますのは、その外なるものそれ自体ではなく、それについてのお前の判断なのだ。事物は魂に触れることなく、お前の外に静かにある。苦悩はお前の内なる判断からだけ生じる。お前を悩ます多くの余計なものは、すべてお前の判断の中にあるので、お前はそれを除去できる。
100分de名著 マルクス・アウレリウス「自省録」より


まあ簡単に除去できるものでもないんだけど、こういう思考はときどき思い出したほうがいいかなと思いメモしておく。


「ていうか、制服に弱いんだ。金正恩もセクシーに見える」
映画「Re:LIFE〜リライフ〜」より


何度か笑えたシーンもあったしけっこう面白かった。こういう楽に見れる映画がおれには向いてるわ。


 * * *


以下は過去に書いたものだが、最近見つけてひさしぶりに読んだらいいなと思ったので、これもついでに。


2004年、ドイツ・バーデンバーデンでのコンサート前に行われたデイヴ・ブルーベックへのインタビューより。

私がこの町(バーデンバーデン)へ来たのは1944年だった。ここは爆撃されなかった事を知っているかね。とても美しい町だからだ。兵士達はここで3日間休暇を取る事ができた。


町に小さな博物館があった。そこへ歩いていったら、真っ暗で灯りがなかった。そこで見事なピアノの演奏が聞こえてきて、私は中へ入った。音がする方へ進んだよ。窓が閉まり、灯りもなく、何も見えなくてね。やがてピアニストを見つけた。グランドピアノの所に石炭ストーブがあり、寒さを、しのいでいた。暖房のない建物だったんだ。彼に続き、私もピアノを弾いた。彼とは今でも、いい友達だ。


なにこの映画みたいな話。なんか「おぉー」って思った。ゆっくりと落ち着いた口調で話す姿が渋すぎる。

シェーンベルクアルノルト・シェーンベルク)に会いたくて彼の家を訪ねた。作曲するように言われ、曲を書いて、翌週、持っていった。そして、その曲を演奏した。途中で彼が『次の音を書いた理由は?』と聞いた。『響きがいいからです』と答えたら、『そんな理由はない』、そう言われたんだ。彼とは、そんな感じでウマが合わなかった。厳しかったからね。レッスンはその1回だけだ。彼から教わったとは言えないよ。


――それでも妥協のない貴重な体験だったでしょ?ミヨー(ダリウス・ミヨー)達は1つの方向へ進みました。より美しい音楽を目指しました。あなたは独自の方へ。


それでもシェーンベルクから影響を受けたよ。彼は認めないと思うが……私の曲を12音音楽だと。だが12音技法の曲を作ってきた。ちょうど新しい曲を書いたところだ。次のアルバムに収録する予定だ。12音技法で作った曲だ。つまり彼との経験がきっかけになったんだ。彼が私の音楽の方向性を変えたのは確かだ。他の誰よりも。


――おそらく無意識のうちに彼から影響を受けたのでしょうね。


彼のように音楽を縛りたくなかった。私には厳しすぎた。ミヨーは自由を与えてくれた。例を見せよう(と言いピアノを弾いてみせる)。12音技法のメロディだ。次のアルバムの曲だ。


――ステキですね。


好きかね?


――シェーンベルクの曲よりも。でも彼から影響は受けたわけですね。彼が12音技法を創ったんですから。12音技法の概念を。あなたの方法とは多少違いますが、それでも12音技法を用いた事は重要です。


ここ3年、12音技法のメロディを作ってきた。でも完全には踏襲していない。シェーンベルクは不満だろうね。私が書いた12音技法のメロディは、彼が目指したものと違うからさ。


たぶん聴いてもよくわからないと思うけど、なんかスゲー。

明日は作曲する予定だ。戦時中に作り始めた曲だ。長く保留していた。1945年に始めたからね。それを完成させたい。できれば明日ここで終わらせたいね。だが、十戒をテーマにした曲だ。それを作ろうと思った理由は、戦争が愚かさを教えてくれたからだ。人間の愚かさをね。互いに殺し合う。誰も自分の信仰を理解していない。カトリック教徒もルター派の信奉者も。今まで先送りしてきたのは、やれる自信がなかった。でも今は……あれから50年が過ぎた。もう60年近い。その曲に挑戦するつもりだ。


スゲーって思った。60年越しで曲を完成させるって。それに「挑戦する」、「明日完成させたい」と話している、その姿を見て感動した。

ヴィンセントが教えてくれたこと

ジジイが出てくる映画っていいよな。俺はジジイと子供っていう組み合わせに弱い。ロバート・デュバルとかアンソニー・ホプキンスとかもそういう映画あったな。ショーン・コネリーもあったか。別にジジイじゃなくてもメル・ギブソンケビン・コスナーヒュー・グラントとか、おっさんと子供っていうパターンもあった。あ、でもどれも見たのはずいぶん昔だったわ。やっぱりだんだんジジイ寄りにシフトしてきてるのかも。あーいやだ。でも実際ジジイのほうがくるもんな。この映画はビル・マーレイ。特にひねりもない、ありがちなストーリー。なんていうことのない映画。

この映画の中でジジイが子供を連れて酒場とか競馬場に行ったりするんだけど、アメリカの競馬場のシーンってなんかワクワクするよな。ワクワクってちょっと違うか。なんでもない日のなんでもないレースが行われている競馬場の風景。なんだろう。憧れ? でもないし、懐かしさ? でもないし。うまくいえないけど、俺にとってのある種の原風景みたいな気もする。それもおかしいな。でもやっぱり未知なものに対するワクワク感とノスタルジックな感情が合わさった不思議な感覚というか。よくわからん。死ぬまでに一度はあそこに立ってみたい。特にどこの競馬場というのでもなくて。ただ馬券を買ってレースを見る。競馬場の空気を吸ってにおいを嗅いで、そこにいる敗残者たちやその予備軍とすれ違う。その雰囲気を満喫したい。

そういえば俺はアメリカ競馬の馬券を買ったことがある。競馬場に行ったわけではない。ある場所にあるスポーツブックのコーナーでだ。そのエリアは閑散としていた。平日の昼間だったからか客はほとんどいなかった。何から何まで勝手がわからなかったが、英語で書かれた出走表とモニタに映し出されるオッズを頼りに馬券を買った。

俺は英語がからっきしだった。その当時ラークマイルドを吸っていたのだけど、たばこ屋で「ラークマイルド」と何度言っても通じなくて、巻き舌にして言い直したりもしてみたけど全然通じなくて、しかたなくそこに置いてあったマルボロにしたことがあるぐらいに英語がダメだった。

だが競馬となれば何もビビることはない。そこにいるとホームグラウンドのように感じられて居心地がよかった。そう、自分が自分でいられる場所。余計なことを気にせずに、本来の自分でいられて、自分のやり方でやれる場所。そういう意味での「原風景」なのかもしれない。まあこのとき実際は超アウェイだったんだけど。とにかく俺は落ち着き払って窓口へ行き、出走表に書いた買い目の数字を指差す。それで通じた。ばくちに国境はなかった。

また、払戻の際には、現金が欲しいのか、それとも払戻金で次のレースの馬券を買うのかと聞かれた。「ああ、なるほど、そういうことができるのか」と理解し、また出走表に買い目を書いてそれを見せた。意外と通じるものである。

何レースか買ったがどこの競馬場だったかも覚えていない。ただひとつ覚えているレースがある。たしか7頭立てか8頭立てだった。俺はかねてから三連系の馬券を買ってみたいと思っていた。今では日本でも三連単や五重勝といった馬券を買うことができるが当時はそんなものはなかった。馬連でさえもまだ目新しかった時代だ。俺はその少頭数のレースで三連複を一点だけ買った。いやもしかしたら三連単ボックスのような買い方だったのかもしれない。とにかく三連系の馬券を初めて買ったのだ。海の向こうで。

結果は1着-2着-4着。当たっていれば2000ドル近くになっていたのだが。惜しかったぜ、俺の初三連複馬券。


映画における芸術性とか撮影手法とか映像美とか脚本がどうとか、俺にはそういうことはさっぱりわからないしはっきりいってどうだっていい。とにかく俺はこみ上げてくるものを止めることができなかった。声を上げて泣いた。いい歳したおっさんが。決して期待して見るような映画ではない。まったく期待せずに見て、たまたまハマった感じ。まあでもそこまで号泣してしまうような映画に出会うことなんてめったにないのだから、何か響くものがあったのだろう。

モヤモヤ日記

ずっとモヤモヤしながら歩いていた。あのとき、ひとこと、聞けばよかった。でも、いまからわざわざ、戻ってまで聞きに行くわけにもいかない。そう思って歩き出したけど、そのことばかり考えてしまう。ささいなことだし、済んだことだから、考えてもしかたがないので、そのことは忘れて気持ちよく歩きたかったのに、ずっとモヤモヤイライラしながら歩いていた。その場では、とっさに思いつかんかってん。そういうこと、あるやろ。自分のトロさがいやになるし、いつまでも気持ちを切り替えられない自分にイラつく。あのとき、ひとこと、たずねたらよかった。それだけで、すっきりしたのに。それだけ聞いておけば、それでもしダメやっても、ぜんぜんそのあと気分よく歩けたのに。せっかく思い切って行ったのに、勇気を出して行ったのに。

でも、1時間歩き、2時間歩きするうちに、脚も疲れてきて、そっちのことが思考を侵食してきて、少しモヤモヤも薄れてきた。少しだけやけど。で、こう思った。今日のすべてがダメだったわけじゃないやろ。良かったこともあったはずやないか。それで、良かったことと悪かったことを数え上げてみると、6対4で良かったことのほうが多かった。でも気持ちは晴れなかった。やっぱりあの失策が大きい。そう感じてしまう。今日はあかんわ。で、むしゃくしゃしてマネケンのワッフルを買って帰った。

元町通4丁目から見えるポートタワー

抵抗せよ

文章を書くことに慣れていなくてとにかく苦手だということはこのブログでもよく書いていて、こないだの記事『沈黙せよ』でもそういうことを長々と書いた。で、それを書いているときにふと、そういえば昔、ある人が僕の文章をほめてくれたことがあったなーというのを思い出した。実は10年ほど前にはてなダイアリーでブログをやっていたことがある。といっても書いていた期間も短かったしなにしろずいぶん前のことなので、そのときの記憶もだいぶ薄れてきていて下手したらそのこと自体を忘れてしまっていることもある。もちろん覚えていることもいろいろあるけど、なんていうか、今のこのブログをやっていることと地続きのように感じられて、つい最近のことみたいな感覚になってしまっている。

このブログのサイドバーを見ると2011年から記事があるけど、実際にここで書き始めたのは2018年からで*1、それより前の記事は以前に別アカウントでひっそりと書いていたごく個人的なメモのような日記をこちらにインポートしたものである*2。だから自分としてはいまだにブログ初心者みたいな感覚でいて、はてダ時代のことをたまに思い出すと、ああ俺10年も前にブログやっていたんだったなと、なんか他人事のような不思議な気分になる。

それまで文章なんか書いたこともなかったし、何をどう書いたらいいかもよくわからなくて、もう本当に右も左もわからずに恐る恐る書いていたんだけど、始めて何か月かたったときに、ある人が自身のダイアリーで僕の書いた文章のことを好ましいと書いてくれたのである。その人は僕からすると賢くて教養があって文学に詳しくて、まあ僕にはその人が書く文学についてのことなんかはまったくわからないんだけど、はてなの文学クラスタの人たちとコメントしあったりしているような人で、僕なんかとはいろんな意味でまったく違うカテゴリに属するような人だった。そんな人からおほめの言葉をいただいて、それはもう大変恐縮してしまった。

でもそういう人だからこそ素直にその人の言葉を受け取ることができた。文章の上手い下手を言っているのではないというのは明白だから。うわべだけのほめ言葉ではなく、僕自身が自分の思いをうまく書けていないような拙い文章から、ちゃんとこちらの気持ちを読み取って理解してくれていると思えるような内容だった。どんなことが書かれてあったかざっくりいうと「お前の書く文章には技術もへったくれもあったもんじゃないが、まあそれでもおのれの足元を見つめながら一歩一歩自分の言葉を紡いでいこうとしている姿勢は悪くないぞ」というような内容であった。実際はもっと丁寧な言葉づかいで洗練されたかっこいい文章だったんだけど、そんな言葉を見ず知らずの人からもらえたことにすごく驚いたし、あり得ないことだと思った。そして僕なんかでもこうやってブログを書いていいんだって心から思えた。こんな自分でもここに存在していいんだと思えて、すごく勇気をもらえたのを覚えている。僕にとっては大きな出来事だった。

その後も何度かブコメや自身のブログで僕へ向けた言葉を書いてくれた。一度、僕に対しての批判というか不満を言われたこともある。批判といってもすごく優しい言葉を選んで書いてくれたんだけど、そういうことを書いてくれたこともありがたかった。その人の書く文っていうのは、いつも簡潔で洗練されていてかっこいい文章(僕にはこういう表現しかできない)だったけど、内容は鋭くて厳しくて誠実で愛のある文章だった。だからこそその人の言葉を信じられた。ありがたかった。その人のことをひさしぶりに思い出した。


他に思い出すことといえば、あ、そうだ、今やはてなでは有名なあの人が僕のことをはてブのお気に入りに入れてくれたこと。あの頃はそんなこともうれしかった。僕にとっての一人目の「お気に入られ」だった。僕がその人をお気に入りにしたから向こうもしてくれただけなんだけど。その人は今では大勢の人からお気に入りにされているけど、当時は20人とかだったんじゃないかな。まああの頃ははてなも人が少なかった。それこそはてな村だったんだな。だから村の端っこにいるような僕でも何人かの目には留まってスターをつけてくれたりブックマークをしてくれたりすることもあった。初めて僕のダイアリーにスターをつけてくれた人も覚えている。スターにしてもお気に入られにしても、初めてだったから覚えているというわけじゃなくて、その後もずっとそのふたりが僕にとっての、まあいってみれば、ちょっとしたはてなにおける、まあその(前置きが長いが、要するにこの言葉を書くのがこっぱずかしいのである→)あこがれのような存在だったからである。確かそのふたりがそろってブコメしてくれたこともあったな。


それから、1回だけ自分の書いた記事にブックマークが20個ぐらいついたことがあった。20ブクマってたいしたことないかもしれないけど、当時はホッテントリといっても100を超えればすごいっていう感じで、50~60で注目記事みたいな感覚だったんじゃないかな。で、ブクマ数よりも僕がうれしかったのは、ブコメでみんなそれぞれの思い出を書いてくれたこと。僕の書いた内容には誰も触れないで、それぞれが自分自身の思い出、自分だけの思い入れのあることについて書いてくれた。僕にとってはそういうのが理想のはてブだったんだ。みんながそれぞれ好き勝手に自分のことを書く、独り言を書く、思い出、追憶、バラバラなコメント群。そういうのがはてブのいいところなんだ。僕の書いた内容には触れるほどの価値はなくても、自分の書いたものが皆が書き込むきっかけになった、そのことがうれしかった。何人かは自身のブログに書いてトラックバックを送ってくれた。


それからしばらくしてブログをやめた。ある程度書いてきて自分の能力というものがわかってきたし、自分にはみんなのように書くことはできないんだなと悟って、少し前からやめようと思っていた。ささやかではあるけどいろんなことを経験できたし、もう思い残すこともないなと思ってダイアリーを消した。結局1年ほど続けたのかな。アカウントも消した。

やめる前に、例のふたりには簡単に感謝の気持ちを伝えるには伝えていた。本人たちは何のことかわけがわからなかっただろうけど。でも、僕の文章をほめてくれたあの人には何も言わずにやめてしまった。今そのことを思い返して、あの人はどう思っただろうかと思う。少し後悔している。僕のことなんか特に何も思っていなかったかもしれないけれど、今となってはかえってそのほうが気が楽になる。いずれにせよ、もう聞くことはできない。彼女は死んでしまったから。

 * * *

クソみたいな記事にクソみたいなブコメが並ぶはてなホッテントリ。そんな現状に嫌気がさしてうんざりしてひとりまたひとりと去っていく。気持ちはよくわかる。もう終わっているのかもしれない。たぶんとっくに終わっているのだろう。ブログもブックマークも活動は止まっていて、あるいはプライベートモードになっている。みんなツイッターやなんかでつながっているのだろうか。あるいはオフラインで。でも俺はいまだに、はてな信仰、はてブ崇拝みたいなところがあって、それを捨てられない。あの頃のはてなは、俺のような存在にもささやかな奇跡を体験させてくれた。それがまだ頭に残っている。俺のブログを読んで涙が出たと言ってくれた人。俺の書いた文章がきっかけで、失われつつあった意欲が復活してきたと書いてくれた人。はてなを捨ててどこかへ行くことができない。



はてなブックマークはおそろしかった。はてなダイアリー間の議論なども近寄ると危険だと感じた。インターネットというのはこわいところだと思った。自分の書いた文章がブックマークされ、批判的なコメントがつく。それがズラッとならぶ。他のブログに引用されて徹底的にこきおろされる。そしてまたその記事がブックマークされる。考えただけでおそろしかった。


(中略)


最初は、いろいろなブログの記事につくたくさんのブックマークコメントを読んでいても、すべてを自然に受け入れることができなかった。それまでずっとせまい世界で生きてきた僕にとっては、その内容があまりにも多様すぎてすんなりと自分の中に入ってこなかった。自分が正しいと思っていることが批判されていたり、自分の存在を否定されるようなコメントを見ると、どうしてもモヤモヤしたような気持ちになった。


しかし、しばらくして、自分と考えが違うさまざまな人の意見を一覧できるということのすごさというか、おもしろさというか、そういうことを感じるようになってきた。普通に生活しているだけでは絶対に交わることのなかったような人たちの考えを聞けるということが、自分にとってとても貴重だと思うようになった。
わなびねこの前世(2009-02-08)


クソみたいなブログにクソみたいなブコメを付け合っているのをこのままだまって見ているのか。いや、今やすべての記事にクソみたいなブコメがわいているじゃないか。あんた、それでいいのか。抵抗しようぜ。ネタやダジャレや互助会野郎にはもううんざりだ。誰に向けてでもない、純粋に自分が感じたことや思ったことをブコメに書き込もうぜ。俺はそれが読みたい。みんながバラバラに好き勝手に書いたメモ書きを俺は読みたい。スター目当てのクソみたいなブコメばかりが並ぶ中に、そうやって書いたあんたの言葉を見つけたい。みんなうんざりしてるのはわかるけど、ここを捨ててみんながいなくなってしまったら本当にクソばっかりになってしまうやんけ。抵抗しようや。

はてブをどのように使おうとその人の自由であって、自分の気に入らない使い方に対してやめろとか滅びろとか言うのは間違っている。自分だって他人から見ればまた別の種類のクソであって、偉そうなことは言えない。しかし俺がクソだと思うものに対してクソということもまた自由じゃないか。

俺のブログにブコメをしてくれと頼んでるわけじゃない。あんたが何かを感じた文章に対して、その感じたことを書いてくれ。ブコメでもいいし自分のブログにでもいい。俺はそのあんたの言葉を目にすることはないかもしれない。目にしたとしても何も感じないかもしれないし、それは違うんじゃねーのと思うかもしれない。何も感じなかったら何も反応しないだろうし、それは違うんじゃねーのと思ったらそれは違うんじゃねーのと書き込むことだってあるだろう。でも、俺ではない誰かにあんたの言葉が突き刺さるかもしれないし、俺は俺でまた別の、どこの誰だか知りもしない人の言葉に心を震わせることがあるかもしれない。そうやって、つながって、それが集まって。


「一人は自分のために、気付けばみんなのために」*3


みんな自由にバラバラに、好きなように書き込んで、それらが集まってできあがる何か。それで少しはクソに対する抵抗になりはしないのか。


無理にというわけじゃない。いつか気が向いたときにそうしてくれるとうれしい。あなたの書いたものがいつか読めますように。そういう人が増えていくとうれしい。

*1:最初は非公開で書いていた。途中から公開設定にして、「ブログを書く」という意識でやり始めたのは9月か10月頃だったと思う。

*2:一応公開はしていたもののアクセスはほぼゼロだったので実質非公開で書いていたようなものである。

*3:これは“One for All, All for One.”をもじったもので、Folksonomyについて書かれた言葉だが、はてブのコメントも同じようなことなんじゃないかと思っている(http://d.hatena.ne.jp/naoya/20050728/1122524520より引用)。