わなびねこ

ねこにシャドーロールを、おれの心にブリンカーを

あのブログやこのブログのことなど

あるブログの過去の記事で、消えてしまって読めなくなるといやだなと思うものをいくつかパソコンに保存した。たまたま昔の記事を読んでいて目についたものをいくつか。何年か前から更新が止まっていて、今のところは読めるけどいつ読めなくなってしまうかわからないので。実際、過去のブックマークを見返していて、もう消えてしまって読めなくなってしまったブログもけっこうある。

今回読んでいたブログっていうのは、どれも短い文章なんだけど読んでいるとなんかこう、感情が静かにふるえる瞬間があるというか、心の深いところに哀愁がスッと入ってくるというか、独特な気持ちにさせられる文章。なんて言えばいいのか、語彙が乏しくてうまく言えないけど、突き刺さるっていうと何か違うし、感動するとも違うし、確かに心が動くという意味でのmovingではあるけど、なんていうんだろう、ありふれた表現になるけど琴線に触れるってやつなのかな。とにかく文章を読んでいてそんな気持ちになることなんてないのよな、普段。もちろん文盲の俺なのでその人の想いを読み取ってどうこうっていうことではないし、共感どうこうっていうのでもなくて、当然自分の中の何かが刺激されてのことなんだろうけど、自分でも説明できない。これ読んでいたのは随分前だけど、そのときはそれがそれほど特別なことだとは思ってなくて、でもそれからいろいろネットで文章を読んできてそんな気持ちになるようなものには出会ったことがない。やっぱりあれは特別だったんだな。そう思って保存したわけ。

で、そのブログの文章を保存しているときに、別の人のブログ記事がひとつ保存してあるのが目についたのでそれも何年かぶりに読んだ。このブログはもう読めなくなってしまっているんだけど、この人の文章はどれもそこそこ長くて、いや長いっていうと言い過ぎか、まあ短くはないそこそこの量があって、それなのになんかその人が話すのを聞いているような感じでスイスイ読めて、自分がそこまで関心がないような内容でも気がついたら最後まで読んでしまってた、みたいな感じだった。自分はあまり読書もしてこなかったし文章を読み慣れていない人間なので、言葉が難しかったり意味が理解できなかったりでなかなかスムーズに読むことができないことが多いのに、その人の文章はなぜかストレスなく読むことができた。そんなふうに文章を読めることなんてほとんどないので、あれはなんか不思議な感覚だった。その人の頭の中にあるものを、われわれにもわかるように言語化してくれているようで、いや俺なんかが人の文章をどうこういうのは失礼なんだけど、まあああいうのってやっぱり技術なんだろうか。難しい言葉だって使えるはずなのに平易な言葉ですごく自然な文章だった。

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はてなブログにはトラックバックの機能がないけど、トラックバックってよかったよなあって思う。上で書いた過去のブログを読んでいたときに、その記事にトラックバックがついていて、それを見ながらこういうのよかったよなあと思った。最近はそういうのをブログでやるのはもう時代遅れということなのかな。

昔はトラックバックをたどっていろいろな人の考えを読むことができた。元記事とはちょっとずつ違う視点があって、それを読むことによっていろんな人の考えや想いを知ることができて、そういうのは貴重だった。もっとブックマークしてコメント書いて、ブログで言及しあって、そういうのを読みたい。

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そして今日もこんな日記を書いて投稿してしまう。現実逃避。ブログに、ネットに、逃げてしまう。もっとするべきことがあるのに。もっとしたいことがあるのに。頭にストレスがかかると、その状況から逃がれたくてつい。それでも5分とかでササッと書いてまた戻るならいいけど、ちょっと書いてネット見て、またちょっと書いてネット見て、みたいな感じで無駄に時間を消費している。

今日、誰にも読まれなくてつらいということを書いているブログに対して「その内容じゃ誰も読む気せんやろ(意訳)」みたいなブコメ(複数)がついているのを見て、自分が言われてるような気がしてなんか考えてしまった。最近このブログについては、誰にどう思われようと自分に向けて自分の好きなように自分の書きたいことを書けばいいかと、そういうふうに思えるようになって以前より気楽に書いていた。それで読んでくれる人がいなくなってもまあいいかという気持ちだった。自分のために書いているんだからと。でもそのコメントを読んで思ったのは、自分のために意味のあることを書けているならそれでもいいけど、そうじゃなくて、なんかもう自分にとっても他人にとっても無意味で無価値な文章を書いて満足しているだけなんじゃないかと思えてきた。

まあそれでもええわ\(^o^)/